「りんごの木の下で」    作 ミルヴォ            2011年 6月9日

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登場人物

Chap1

Chap2

Chap3

Chap4

Chap5

Chap6

Chap7

Chap8

 
   Chap1  出逢い


昭和17年5月 うららかな初夏の日射しが心地よい駒場の東京帝国大学。

同日、マッカ−サ−元帥、南西太平洋方面最高指揮官に就任。この日を境に

戦況は、米軍優位となって行く。しかし、国民は知る由もなかった。

 卓也は、東京帝国大学経済学部政治学科に在籍していた。卓也の夢は、

政治家になって日本を先進的近代国家に導き世界平和に貢献することだった。

 「卓也さ-ん」 澄んだ明るい声が練習場に響いた。

卓也は、練習の手を止めて振り返るとグロ−ブを左脇に挟み、右手に白い

野球帽を掴み、外野のバックスクリ−ン下で手を振っている芳恵を見付け、

右手を振った。芳恵が、「ハッピイバアスデイ卓也」とあらん限りの澄んだ

明るい声で叫ぶや、あわてて卓也は、右手の白い野球帽を掴みながら右手

の余った人差し指を唇にあてて、「(駄目駄目、敵国語)」のサインを送って

照れくさそうにウインクすると、卓也もあらん限りの大きな声で、「サンキュウ」

と叫んだ。二人は微笑みあって、人差し指を唇にそっとあてると歩みより肩を

よせて木立の涼しげなベンチに座った。その時、空高く零式戦闘機の編隊

が爆音を轟かせ南の空に消えて行った。卓也は、胸騒ぎがした。

 「卓也さん」芳恵のやさしいささやきに卓也我に帰り、心配そうに見つめる

芳恵に微笑んだ。

 二人は、手をつなぎキャンパス近くのいつものカフェに歩く。こんな時は、

決まって卓也の好きなジャズナンバ−「リンゴの木の下で」を二人して口

ずさむのであった。

 芳恵は、音大生で専門はクラシックのトランペット奏者。戦時下で、金属

製のものは、鍋釜構わずお国の為に没収されたが、芳恵のトランペットは

没収から逃れた。芳恵は、海軍省の軍人である父勝也の口利きで海軍



 カフェに入りいつもの窓際の席に二人座ると暫く見つめ合って、どちらから

ともなくR・アームストロングの歌う「リンゴの木の下で」を口ずさみ、また、見つめ

あい時が静かに流れるのでした。

 二人の出会いは、そもそも、芳恵の所属している対敵謀略放送スタジオ

という軍当局及び情報局によって企画された対敵放送ジャズバンドでの

収録がきっかけであった。東京ロ−ズなど多士済々。

 芳恵の父勝也の口利きで芳恵は、トランペッタ−として採用されていた。

そこに卓也が翻訳のアルバイトで採用されていた。二人は、毎日のように

対敵謀略スタジオで会っては、太平洋戦線のアメリカ兵たちに向けた謀略

略宣伝文の翻訳に追われていた。そんなある日、アメリカ兵に人気のある曲は何かという話

になった。アメリカ兵に郷愁を誘い戦意を消失させるという作戦だ。

 卓也にとってふるさと兵庫を思うときRアームストロング歌う「リンゴの木の下で」

が思い浮かんだので、卓也が「リンゴの木の下で」と言った。本当は、芳恵

のトランペットでこの曲を聴きたいといつも思っていたが、言い出せづに

いたのである。他のバンドマンから「アラビアの唄」「茶色い小瓶」など

何曲か候補が挙がったが、芳恵にお鉢が回った、「私も、Rアームストロング

すきです。」と言った。決まった。全員拍手で、それぞれ位置につくと、

演奏が始まった。芳恵のトランペットソロに入ると卓也の胸はドキドキした。

芳恵と卓也の目と目が合うたびに心臓が飛び出しそうな気がした。

帰り道、二人はいつの間にか肩を寄せ合いリンゴの木の下でを口ずさんで

いた。それからというもの二人はデ−トを重ね、卓也の19歳の誕生日を

迎えたのである。

 前置きが長くなったが、今夜、芳恵の家で芳恵の家族一同、卓也のために

ささやかながら誕生会をしようと準備が進められていた。

 戦時下の東京の夜空は、真っ暗で満点の星座が埋め尽くし、お月様の

輝きはことさら美しかった。 芳恵の「ただいま-」の声に、芳恵の妹の泰恵

が玄関から飛び出してきて、「おかえりなさい」と卓也の手を引っ張って、

家に招き入れる。いつものパタ−ンである。 父勝也と母「卓也君お誕生日

おめでとう。さあさ奥にお入りください。」 いつものパタ−ンである。卓也は

すっかり神崎家の家族の一員になっていた。

 芳恵の父勝也は、海軍省の軍人で要職にある人物で気骨あるリベラリスト

だ。酒豪で卓也を我が息子のように可愛がった。酔いがまわると、卓也に

本音を吐露し、卓也も本音を率直に吐露し大いに二人盛り上がるのが常で

あった。父勝也は、帝国日本の実状に精通しており、米国の力量を知るが

故に大本営に批判的であった。

 大いに二人盛り上がると、どちらからともなく、「海行かば」を拳を振って、

大声で合唱となるのでした。 そこに芳恵も加わると、三人肩を組んでの

大合唱となる。母と妹泰恵は、顔を見合わせて「仕方ないわね」とほほ笑む

のであった。

 誕生会も終わり、卓也、お礼にと「リンゴの木の下で」を歌う。

In the shade of the old apple tree

Where the love in your eyes I could see

When the voice that I heard like the song of the bird

Seem'd to whisper sweet music to me

I could hear the dull buzz of the bee

In the blossoms as you said to me

With a heart that is true I'll be waiting for you

In the shade of the old apple tree

途中で、芳恵も輪唱して、大いに楽しい誕生会となった。




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