「りんごの木の下で」    作 ミルヴォ            2011年 6月9日

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登場人物

Chap1

Chap2

Chap3

Chap4

Chap5

Chap6

Chap7

Chap8


   Chap4  行って来ます


 土浦航空隊における基礎教育は、約4ヶ月続いた。昭和19年5月25日

土浦航空隊にいた操縦及び偵察専修の予備学生は、次の中間練習機

教育のため、卓也は、大井航空隊に配属された。

昭和19年6月4日 連合軍、ローマ入城。

昭和19年6月6日 連合軍、ノルマンディ−に上陸。

昭和19年6月15日 米軍、サイパン島に上陸。

昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦。

昭和19年7月4日 日本軍、インパ-ル退却。

昭和19年7月7日 日本軍、サイパン島守備隊全滅。

昭和19年7月18日 東条英機内閣総辞職。

昭和19年7月21日 米軍、グァム島に上陸。

昭和19年7月22日 小磯・米内内閣成立。

昭和19年7月23日 米軍、テニアンに上陸。

昭和19年8月10日 日本軍、グァム島守備隊全滅。

昭和19年8月15日 連合軍、フランスカンヌに上陸。

昭和19年8月23日 学徒勤労令・女子挺身勤労令等公布施行。


昭和19年8月26日 卓也 日記(大井航空隊にて)

 搭乗員は一日一日が一つの完成であらねばならぬ。それはいつ

生の終末が来ようとも、それが一つの完成として残らねばならぬ。

と同時に、一日一日の連続はまた一つの完成への精進の道程

でなければならぬ。必死の、血みどろの努力の集積の中にいか

なる終末に終わろうとも、それが空虚を意味しないだけの心の

準備と努力の成果でなければならぬ。それは搭乗員としての

絶対的な運命であるとともに、唯一の誇りでもあるのだ。そこに

凡太郎は、搭乗員の生活の、宗教へのつながりを見出すので

ある。


昭和19年8月29日 パリ陥落。

昭和19年9月10日 米機動部隊、中部フィリピン島に来襲。


昭和19年9月14日 卓也 日記(大井航空隊にて)

 凡太郎は、飛行機を愛する。それは常に生と死の間を翔けり行く

鳥である故に。空中に在って発動機の音に耳を澄ますとき、それが

ちょっとした異常な音をたてても、それはすでに死への道が開かれて

いる。静かに死を見つめる感情は、飛行機のみが与えてくれるのだ。

しかも機上にあって悠然として任務を遂行するこの気持ちが、こよ

なく貴いものに思われてならない。この気持ちの中から、何か生まれ

なくてはうそだ!!

 学問により、書物によって解決せんとあがいたものが、容易に

眼前に齎されたとも思われる。しかしその安易さは、またまた飛び

越え難い障壁でもあるのだ。その解決は死の瞬間まで不可能

かも知れない。ただ死と取組合っていることを肝に銘じ、必死に、

真剣勝負の気迫を持って迫るとき、なんらかの広い大空のような

世界が見られるかもしれないとも思われる。


昭和19年9月15日 米軍、ペリリュ-島、モロタイ島に上陸。

昭和19年9月22日 大本営、決戦方面をフィリピン島と決定(捷号作戦)。

昭和19年10月10日 台湾沖航空戦(日本軍精鋭371機中2機生還)。
※真珠湾攻撃の主力精鋭日本空軍壊滅


昭和19年10月11日 卓也 日記(大井航空隊にて)

 凡太郎は、ジイドに泣く心を忘れた。

 だが、彼はソクラテスを愛する。

 彼は、恋愛の美しさに泣けない。

 だが、愛の崇高さに身を捧げる。


昭和19年10月14日 イギリス軍、アテネ解放。

昭和19年10月18日 大本営、満18歳以上の男子、兵役編入。

昭和19年10月20日 米軍、レイテ島に上陸。
   ソ連軍、ベオグラ−ド解放。

昭和19年10月25日 神風特別攻撃隊敷島隊、米艦隊を攻撃。

昭和19年11月8日 米ルーズベルト大統領四選。

昭和19年11月24日 B29、東京初空襲。

昭和19年12月15日 米軍、ミンドロ島に上陸。


昭和19年12月16日 卓也 日記(大井航空隊にて)

 自らの生に虚無を見て、自らの生命を絶った天才的文人があった。

 自らの道に生の否定を断定し、巌頭に絶叫して死を選んだ若人が

あった。

 自らの信ずる哲理ゆえに、国家への背反の名を科せられて、人生

を葬り去った幾多の魂があった。

 今、祖国の歩みを唯一の真理として、戦のただ中にその生命を

抛たんとする若人がある。

 いったい彼等の死は、いかなる意味を有するのであろうか。


昭和19年12月25日 卓也 (大井航空隊にて)、第14期飛行

予備学生は、海軍少尉に任官した。

 卓也に、芳恵から手紙が届く。 

 「両親も妹も勿論わたしも無事です。 卓也さんもお元気ですか。

毎晩、晴れている夜はお月さま見上げたり、お星さまの数を数えたり

しながら、リンゴの木の下で を歌っているの。卓也さんのいる方に

向かって、トランペットを吹く真似をして、リンゴの木の下で を歌うの。

卓也さんと会って話したいこといっぱいあって、手紙では、書ききれ

ないわ。 わたしの吹くトランペットは、いつも卓也さんとわたしの

心のなかで、リンゴの木の下で のメロディ−を奏でてくれている

わ。卓也さんに、一つだけ、お願いがあるの。戦争が終わって、

卓也さんがわたしの胸に帰って来たら、いつものように、一緒に

歌ってください。リンゴの木の下で を、きっと。」

 卓也は、芳恵の手紙を読みながら、胸が締め付けられ、張り裂け

そうになる。涙が溢れ、卓也の心の中で、芳恵の吹くトランペットが

リンゴの木の下で を奏でている。紛れもなく、芳恵と卓也の歌声

が卓也には聴こえるように思えた。

 手紙に書けないことが、一つあった。それは、芳恵のトランペット

である。 B29 東京初空襲で、神埼一家も焼け出され、芳恵は、

取るものも取り敢えず、大事なトランペットだけ肌身離さずに防空壕

に逃げ込んだ。しかし、防空壕に居合わせた何者かにトランペット

を取り上げられ、「貴様!!非国民だ-!!」と罵られ、芳恵も母も

トランペットを守ろうと必死に懇願したが、何度も殴られ蹴られ、

二人とも気を失いトランペットは行方不明となってしまった。

芳恵の父は、その時、妹の泰恵を探しに行って不在であった。

泰恵は、勝也が見付けて無事だった。


昭和20年1月9日 米軍、ルソン島リンガエン湾に上陸開始。

昭和20年1月16日 ソ連軍、ワルシャワ占領。

昭和20年1月20日 大本営、本土決戦作戦大綱決定。

 戦局の劣勢を一挙に挽回しようという「神風特別攻撃隊」による

体当たり作戦は、昭和19年10月20日米軍がレイテ島に上陸

した翌日から開始された。

 翌昭和20年1月25日まで、51回、計436機の特攻機が出撃

したが、圧倒的な物量を誇る米軍には決定的な打撃を与えること

が出来なっかった。

 卓也が所属する第14期飛行予備学生が参加したのは、昭和

20年3月、南西諸島沖縄方面の最後の防衛作戦が開始されて

からであった。 彼等は、飛行時間わずか100時間(本来300

時間)前後という未熟な訓練を受けただけで、九州南端の鹿屋、

国分、串良基地などから、特攻隊員として、続々と飛び立って

いった。  特攻は、昭和20年8月15日の敗戦まで続き、約

1800機の特攻機が出撃した。


昭和20年3月15日 卓也 日記(大井航空隊にて)

祖国を救うものは、偉大な中枢たるべき大人物のほかにはない。

特攻隊は、敵国の圧倒的な物量に対する防壁たるに過ぎない。

国の中枢に強力な政治があってこそ、初めて国の旺盛な精力と

なりうるのだ。

「後に続くを信ず」とは、単に、死を決して、戦う者の続くことを意味

するのではなくして、「特攻隊の犠牲において、祖国のより良き前進

を希求するものにほかならない。」

 いかに特攻隊が続々と出現しても、中核をなす政府が空虚な存在

となっては、亡国の運命は、晩かれ早かれ到来するだろう。


昭和20年3月26日 卓也 日記(大井航空隊にて)

 特攻隊身上調書記入。「後顧無し。」と大書せり。


昭和20年4月2日 卓也 日記(大井航空隊にて)

 凡太郎は、学生生活において知性に目覚めて以来、歴史について、

死について、苦悶と思考を続けてきた。それは、未解決のまま残され

ている。

 だが、今は、それが別の意味で解決されている。 もう、苦悶も

悩みも存在する余地がない。 それは、意味なき意味であり、

未解決の解決である。


昭和20年4月6日 卓也 日記(大井航空隊にて)
(特攻戦死22日前)
 ああ、特攻隊は出撃する。一機、二機、手を振りつつ出で征く

戦友!

 上空に編隊を組みつつ、バンク(翼をかすかに振って、「さよう

なら」の意味)しつつ暁の空に出でて征く。目指す琉球の決戦場

へ。


 この日、積雲徐々に去り、一直線に碧空が明るい色彩にいろ

どられ、陽光がほの暗い飛行場を壮厳に染めていた。

平和への歴史が創られる神聖な一瞬である。

 凡太郎は、衷心より還らざる機の壮途を祈る。彼もまた旬日

ならずして、この平和創出への壮挙に加わらん。


昭和20年4月7日 卓也 日記(大井航空隊にて)
(特攻戦死21日前)
 特攻隊艦隊に突入。号令台前には、半旗が春風に静かに

なびいている。


昭和20年4月11日 卓也 日記(大井航空隊にて)
(特攻戦死17日前)

 特攻隊編制。出撃の栄を担う。


昭和20年4月12日 卓也 日記(大井航空隊にて)
(特攻戦死16日前)
 父上、母上、卓也は、明4月28日特攻隊の一員たる栄を禀け

出撃します。

 元気旺盛、闘志に燃えております。

 ご厚情を感謝し、御幸福を祈ります。

 お身体を大切に、卓也は常にお側にあります。

 桜咲く日に・・・・・・・

 芳恵さん、リンゴの木の下で 最後の瞬間に、一緒に歌って

ください。君にこの世で出逢えたことに心より感謝します。

御両親様、泰恵ちゃん、さようなら。


 秀夫くん、さようなら。

昭和20年4月13日 卓也 日記(大井航空隊にて)
(特攻戦死15日前)
 4月28日、故郷の空、香住の空を通過した編隊は、小生の配乗

するものです。空からお別れすることができることは、何よりの

幸せです。


昭和20年4月27日 卓也 日記(串良海軍航空基地にて)
(特攻戦死前日)
 ・・・・・・・・・・(心の中で、リンゴの木の下で を何度も、何度も

歌う。そこには、紛れもない、芳恵が、トランペットを一緒に、奏で

ている。)・・・・・・・・・・・・・・


昭和20年4月28日 卓也 日記(串良海軍航空基地にて)
(特攻戦死当日)
 桜の花びらが、風に舞うなか、卓也の搭乗する特攻機(神風

特別攻撃隊第一正気隊)は、爆音轟かせ南西諸島に飛び立った。

 卓也が、敵艦に体当たりする瞬間、その数分の間に・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・(心の中で、リンゴの木の下で を何度も、何度も

歌う。そこには、紛れもない、芳恵が、トランペットを一緒に、奏で

ている。)・・・・・・・・・・・・・・


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