「りんごの木の下で」    作 ミルヴォ            2011年 6月9日

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登場人物

Chap1

Chap2

Chap3

Chap4

Chap5

Chap6

Chap7

Chap8


    Chap3  お別れ


 卓也は、学徒徴兵検査を終えて、芳恵と勝也を訪ねた。

 「お父さん、芳恵さん。安達卓也、航空兵志望適い海軍大竹呉海兵団

二等水兵として12月9日入団しました。」 

 勝也、「卓也君、最難関の海軍航空隊に入団おめでとう。日本の未来は、

君たちの双肩に懸かっている。この戦争に勝つことでなく、如何に負けない

ようにするかでなく。この国を如何に命を掛けて守ろうとしたか、 そのことに

尽きる。 ただ、ひたすらこの国を必死に守ろうとした君たちが、純粋にこの

国の人々を守ろうとした君たちが居たという事実を生き残った我々は、重く

受け止めなければいけない。」


 芳恵、 「卓也さん。私のこと忘れちゃだめよ。卓也さんがどこに行こうと

私は、必ず卓也さんに会いに行くわ。」 と言いつつ、芳恵は、半べそを

かいている。 卓也、すかさず、「忘れるものか!!芳恵こそ忘れちゃだめ

だぞ!!」 三人大声で泣き笑いとなる。奥から、母と妹泰恵現れ、一緒に

笑った。 勝也、「今夜は、大いに卓也君、呑もう!」 芳恵、「私、お料理

するわ。卓也さんが、絶対に忘れないおいしいお料理を!!」

勝也と卓也、顔を見合わせて、「期待しましょう・・・」 と二人。なんとも

幸せな家庭団らんのひと時であった。


昭和18年12月10日 第1次学徒出陣(海軍)。


 再び、神崎家。 勝也、「いよいよだね、君たち学徒諸君をここまで追い

詰めた責任は、我々にあります。卓也君・・・」 勝也、声をつまらせ、目頭を

拭き、「済まない・・・」 苦渋と悔しさが入り混じった父勝也の声に、卓也、

青年らしく爽快に、「お父さん。覚悟は安達卓也、出来てますよ。今夜は、

お父さんと、とことん、海行かば を歌いましょう。 お父さん。」

 卓也の大きな声に、奥から芳恵と母と妹泰恵の三人が、心配そうに父

勝也と卓也の客間に現れる。芳恵、「卓也さんたら大きな声。」と言いかけ

て、妹泰恵、「そんな卓也さん大好きよ。」と姉の声色を真似て、「ウフ。」

泰恵の仕草に、一同、大笑い。


昭和18年12月24日 徴兵適齢1歳引き下げ。


 いよいよ、芳恵との別れの日が来た。 満点の星空の下。

 卓也、「お正月明けに大竹海兵団に入団することになった。明後日、 

実家に帰って父母と妹と会って・・・その時、君のこと紹介したいんだ。

来週早々には、東京駅から汽車に乗って神戸に行く。君も一緒に来て

ほしい。」 芳恵、「わたし、行きます。一緒に、卓也さんと。」

 卓也が、芳恵との未来の人生設計を語り始めた時、芳恵、優しい

声で、リンゴの木の下でを歌い始める・・・卓也も声を合わせて歌う

・・・明日もリンゴの木の下で会いましょう・・・の一節になったとき,

芳恵が卓也の胸に泣き崩れる・・・卓也は、しっかりとしかしこれ以上

ないくらい優しく芳恵を抱きしめるのであった。 月の光に包まれた

二人は、いつまでも、リンゴの木の下でを小さい声でハミングしながら

抱きしめあったまま、二人の頬に熱い涙が・・・その時、流れ星が

一つ二つ、芳恵の目にとまった。 芳恵、涙を拭きながら、「卓也

さん、流れ星よ。ほら、あそこにも。」 卓也、「き れ い だね-」

芳恵、卓也を強く抱きしめ、「リンゴの木の下で」 を優しくしかし

しっかりと歌い始める。卓也も声を合わせてよどみなく歌いきる。

そして、芳恵、卓也を見つめ云う、「卓也さん、私たち二人は、

この歌の中でいつも生きているの。永遠に、二人は、この、歌の

中で、生きているの。」 卓也、きつく芳恵を抱きしめ、二人は、

熱い口づけをいつまでも、交わすのであった。


昭和18年12月26日 二人は、東京駅から汽車に乗り、卓也の

実家を目指す。 夜行列車は、敵機の襲撃を避けるため、車内

の灯りはすべて消されていた。二人は肩をよせ合い夢の中で

リンゴの木の下でを歌っていた。

 夜が明けて神戸の駅に降り立った二人を卓也の家族一同が

歓迎した。卓也が、芳恵を両親と妹に紹介する。

卓也の母初野、芳恵の両手を優しく包み慈しむように、「芳恵さん、

ありがとう・・・卓也は、しあわせものです・・・」

芳恵、初野の両手を包み返して、「お母様、しあわせなのは、わたし

です・・・」 二人言葉に詰まり、抱き合いいつまでも泣いていたわり

合うのであった。

 卓也の実家では、卓也の親戚一同、恩師、友人、近所の人々、

大勢、卓也を出迎える。 卓也、その中に甥っ子の安達秀夫君を

見付け、「秀夫君!!」 秀夫(9歳)屈託なく、「卓兄ちゃん!!」

二人は、肩をたたき合って、再開を喜ぶ。二人は無類の音楽好き

で、時代が平和であったら、卓也のピアノで秀夫君がジャズを歌う

名コンビであった。 [秀夫君、紹介するね。」と卓也、芳恵の肩を

そっと寄せて、空いた左手でカッコをつけた瞬間、秀夫、「ヤア!!

初めましてぼく秀夫です。芳恵さん!!」 芳恵、卓也の顔が可笑し

くて、笑いながら、「秀夫君、よろしくね!!」 秀夫、「芳恵さん、

有名人なんだよ。安達家では、卓兄ちゃんのフィアンセだって。」

卓也、なんとなく心当たりがあるような、ないような。「秀夫君は、

話を大げさにしてしまう天才プロデュ−サ−だからなあ。はっはっは。」

秀夫、「はっはっは。」 芳恵もつれ笑い。

 卓也、「ところで、秀夫君。ちょっと、僕の書斎に来てくれない。

秀夫君に託したいものがあるんだ。」秀夫、卓也の後について行く。

 書斎の書棚の下段に蓄音器とレコ−ドとソノシ−トなどぎっしり

詰まっていて壮観である。卓也は、風呂敷を床に広げて一枚一枚

慈しむようにそれらを積み重ねて最後の一枚を蓄音器にセットし、

卓也、秀夫に、「芳恵さんをここに呼んで来て。」とささやく。

秀夫、書斎を出てみんなの集まっている応接間に芳恵を探す。

秀夫、「芳恵さ-ん!!」 芳恵、秀夫のところに来て、「秀夫君」

秀夫、「卓也兄ちゃんが、呼んでます。」 秀夫と芳恵、書斎に

入る。  卓也、「芳恵さん、秀夫君、僕の宝物の歌です。」

と言って、蓄音器の針をそっと摘み上げレコ−ドが回り始め、

静かに針をレコ−ドの溝に落とす。芳恵にとって耳慣れたメロ

ディ− しかもトランペットが奏でる、リンゴの木の下で トランペット

は、ルイ・ア-ムストロング コーラスは、ミルス・ブラザ-ス 名盤である。

秀夫君レコ-ドに合わせて歌いだす。三人とも小さな声で歌う。

戦時下で、敵性音楽ジャズを歌うなど許されないこと。秀夫君

もそこは心得ていた。レコ−ドが鳴り止むと、卓也、慎重に、

レコ-ドをしまい風呂敷の重なったレコ−ドの一番上に その

聴いたばかりの リンゴの木の下で を乗せて風呂敷を丁寧に

包んでかた結びして、秀夫君に、「このレコ−ドを秀夫君に預け

ます。戦争が終わって平和な世の中になったら聴いてください。

芳恵さん、その時が来たら、この蓄音器で一緒に リンゴの

木の下で を聴こうね。」 秀夫、うつむいたまま涙を堪えている。

芳恵、卓也の両手を握りしめ見つめ合う。芳恵、唇噛みしめて

涙を堪える。


昭和19年1月9日 卓也 日記(大竹海兵団にて)

 戦はますます苛烈である。死闘は毎日のように繰り返される。

国民の生活はますます深刻になり、悲惨になる。果して戦は是か?

真の平和は、かくも悲惨なる殺戮の彼方に求められるべきか?

 歴史の現実を見つめるとき、いかなる戦争もそれぞれイデオロギ-

の闘争であり、世界観の戦であった。しかしその結果として齎された

ものは!! 理想主義的世界は単なる夢幻と化して、後には戦前の

現実に戦の悲惨を加えたものに過ぎなかった。あのフランス革命

の痛烈なる理想も、自由への憧憬も、ナポレオンの独裁に全てを

失ったではないか。


 大竹海兵団に入団して過酷な訓練に曝され、多くの学徒が、

手足に凍傷を負った。しかし、殆どの学徒は、耐え忍び脱落する

者は無かった。


昭和19年1月15日 卓也 日記(大竹海兵団にて)

 父に逢った。母に逢った。手を握り、眼を見つめ、三人の心は

一つの世界に溶け込んだ。数十人の面会人のただ中にあって、

三人の心の世界のみが私の心に映った。遥かな旅の疲れの

見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。

私のために苦労をかけた老いが、父母の額の皺に、ありあり

と見られるような気がした。何も思うことがいえない。ただ表面を

すべっているに過ぎないような皮相的な言葉が、二言、三言、

口を出ただけであり、あまつさえ思うこととは全然反対の言葉

すら口に出ようとした。ただ時間の歩みのみが気になり、見つめ

ること、眼で伝え合うこと・・・眼は、口に出し得ないことを言って

くれた。母は私の手を取って、凍傷をさすって下さった。私は入団

以来初めて、この世界に安らかに憩い、生まれたままの心になって

そのあたたかさを懐かしんだ。

 私はこの美しい父母の心、暖かい愛あるがゆえに、君のために

殉ずることができる。死すとも、この心の世界に眠ることができる

からだ。わずかに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の

美味だった。涙とともにのみ込んだ心のこもった寿司の一片は、

母の愛を口うつしに伝えてくれた。

 「母上、私のために作って下さったこの愛の結晶を、たとえ充分

いただかなくとも、それ以上の心の糧を得ることができました。

父上の沈黙の言葉は、私の心にしっかりと刻みつけられています。

これで私は、父母とともに戦うことができます。死すとも、心の安住

する世界を持つことが出来ます。」

 私は、心からそう叫び続けた。戦の場、それはこの美しい感情の

試練の場だ。死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するがゆえに、

私は死を恐れる必要はない。ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。

16:00、面会時間は切れた。再び団門をくぐって出て行かれる父母の

姿に、私は凝然として挙手の礼を送った。父母の姿は夕日を背にして、

その影が地上にひっそりと長く落ちていた。その瞬間に静けさをしみ

じみと感じ、振り返りつつ立ち去って行く父母の瞳にじっと見入った。

美しい父母の御心に泣きつつ・・・・・・。




昭和19年2月4日 卓也 日記(土浦航空隊にて)

 父上、母上、慎んで卓也は、飛行専修予備学生を拝命しましたことを

報告致します。私の生き方、私の生涯の最後の在り方は、ここに完全に

断々乎として決定致しました。お召しを受けてから、水漬く屍となることは

、私の最も厳粛なる決意であります。ここに飛行機乗りになることが決定

致しました以上、死に対する覚悟を新たにし、改めて父上、母上にお別れ

を致さねばなりません。今日まで病弱にして我儘な私を、今日の身体に

養育していただいた父上、母上に、何ら報いるところなく、孝養を尽くす

ことなくしてお別れしますことは、何より私のこころを痛めます。立派な

父上、母上のお心が、私を御国のために捧げたという覚悟に徹していら

れることはいうまでもありませんが、その中に潜んでいる痛烈に悲痛な

感情を、私は涙なしには思うことはできません。私は父上、母上の愛に

よって生を保ち、愛によって初めて今日あるを得ました。 それに何ら

報いることなくお別れしようとしています。ただ祖国を守るために、

それに必然と絶対を見出すからであります。私の死が、真にその処を

得て、父上、母上の名と愛を汚さないものであることが唯一の願いで

あります。私の生涯は、真に幸福でした。愛に包まれて生涯を過ごし

この御戦のただ中に水漬く屍、雲染む屍となる光栄は、言葉に言い

あらわせないものがあります。ただ父上、母上に対して、何ら報いること

がなかったことだけを心からお詫びするものです。 なにとぞ楽しく

和やかな余生を送られ、美しい日本の家が、永遠に清くあることを祈って

おります。私は不肖ながら、祖先の伝統と祖先の遺志を背負って、戦の

中に自らの生命を抛たんとするものであります。父上、母上、卓也は喜び

勇んで新しい生活に全力を尽くします。

心から御厚情を感謝しつつ・・・・・・・。


昭和19年2月6日 クェゼリン島、ルオット島の日本軍全滅。

昭和19年2月17日 米機動部隊、トラック島に来襲。

昭和19年3月8日 日本軍、インパ-ル作戦開始。

昭和19年4月1日 不急旅行禁止、高級享楽を追放。

昭和19年4月22日 米軍、ニュ-ギニアに上陸開始。


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