「りんごの木の下で」    作 ミルヴォ            2011年 6月9日

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登場人物

Chap1

Chap2

Chap3

Chap4

Chap5

Chap6

Chap7

Chap8


    Chap2   学徒出陣


それから数カ月、戦況は一変、昭和17年10月25日 日本軍ガダルカナル

総攻撃失敗。 昭和18年2月2日 スタ−リングラ−ドのドイツ軍降伏。

同2月7日 日本軍ガダルカナル島より撤退。 同4月18日 山本五十六

連合艦隊司令長官戦死。

 卓也の20歳の誕生日、昭和18年5月9日 神崎家でささやかにしかし

沈痛な空気は拭えない。

 しかし、今夜は父勝也の様子がいつもと違っていた。卓也を前に腕を

組んだまま目を閉じて、何か言葉を探している。二人の間に沈黙の時が

流れて、芳恵も卓也の横で胸騒ぎがして、明るく振舞おうと、「やだってばあ

お父さん」とその時、父勝也は、「芳恵は母さんたちを・・・卓也君と二人に

してくれ」 いつになく厳しい口調でそれでいて芳恵に優しい気遣いを感じ

させる心配りが、芳恵と卓也に伝わった。芳恵が、卓也に眼で退室を伝え

台所に去るのを見極めて、静かに勝也が、「卓也君、山本五十六元帥が

戦死されたことは知っているね。」 卓也、「はい」 勝也、「実は、元帥は、

味方の護衛機に背後から銃撃され殉職されたという未確認情報を得てい

る。元帥は、帝国日本の敗北を確信し、全面降伏の書状をマッカ−サ−

元帥に手渡す為に極秘裏にマッカ−サ−元帥と直接コンタクトしようと

試みた。しかし、大本営は、これを察知し闇に葬った。」

 卓也、沈黙したまま茫然と中空を見つめ、「護衛機は、戻ったのですか」

勝也、「その場で、自爆し殉職したそうだ。このことは、元帥の側近中の

側近数名だけが知っている。卓也君、決して他言しないこと。」


昭和18年6月25日 学生の勤労奉仕を法制化。軍事工場や農場に動員。

昭和18年7月25日 イタリア、ムッソリ−ニ失脚。

昭和18年9月9日  イタリア、連合国に正式降伏。

昭和18年9月23日 学生の徴兵猶予停止。理工学系学生は入隊延期。

学生は、直ちに徴兵検査を受けさせられた。

昭和18年10月12日 卓也 日記。

 我々は「死」に至った時、大きな苦悩を味わうにちがいない。それは、

「死」が恐ろしいからではなく、いかに死ぬかが我々の心に常に迫り、

あらゆる価値判断を迫られるからだ。故にその苦悩は、我々の必然で

ある。ただ天皇陛下万歳を唱えて一種の非壮感に酔って死んだ人は、

美しいとはいえ、我々のとり得ない態度だ。我々は常に「死」そのもの

を見つめつつ、しかも常にいかに死ぬるかの苦痛を担いつつ死んで行く

のだ。「なんだこれが死か」という感情を、死の瞬間にも持つ冷静さだ。

 しかし、この苦悩があればこそ、我々には我々の死に方ができる。

それは断じて敵に対する逡巡ではなく、最も勇敢なる「死」であらねば

ならない。我々はむしろ、この苦痛を誇りとするものである。この苦悩を

越えて「死」そのものを見つめる時、我々の真の世界が開ける。

 強烈な現実の嵐の前に「死」に直面し、その中に新しく生きてくる

我々の学の精神こそ、我々の内にひそめる真の学的精神であらねば

ならない。我々は学を戦に代えた。それは学の飽くなき追求であり、

新しき生命の獲得なのである。一人たりとも学徒が生を得て帰還した

ら、その内から真の東西の理想が生まれ、雄大な生成発展の構想

が構成され、真に東亜の人々を新しき道義の世界に導き得るであろう。

 勿論、我々は消耗品に過ぎない。波の如く寄せ来る敵の物質の

前に、単なる防波堤の一塊の石となるのだ。しかしそれは、大きな

世界を内に築くための重要なる磯石だ。

 我々は喜んで死のう。新しい世界を導くために第一に死に赴くもの

は、インテリゲンツィアの誇りであらねばならない。


昭和18年10月21日 明治神宮外苑で学徒出陣壮行会。

昭和18年11月1日 ブーゲンビル島玉砕。

昭和18年11月11日 米機動部隊、ラバウル大空襲。

昭和18年11月25日 タラワ島、マキン島の日本守備隊全滅。

昭和18年11月28日 テヘラン会談(ルーズベルト・チャ-チル・スタ-リン)

昭和18年12月1日 第1次学徒出陣(陸軍)。


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