「りんごの木の下で」    作 ミルヴォ            2011年 6月9日

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登場人物

Chap1

Chap2

Chap3

Chap4

Chap5

Chap6

Chap7

Chap8


   Chap6  再会


昭和20年8月15日 終戦

 戦争が終わって、空襲もない、防空壕に入る必要もない。

平和の意味とは、この静けさなのだと思った。

 平和な日々が当たり前のように続く。人々に、笑顔と会話が

蘇える。

 芳恵は、思った。この平和な日々は、卓也さんからのプレゼント

に違いないわ。 と思った。


 芳恵のもとに、卓也のご両親から手紙が届いた。

「神埼芳恵様
(前略)
 卓也から最後の手紙が届いたのと卓也の戦死通知が届いた

のと同時でした。私どもは、卓也を誇りに思っています。そして、

卓也が芳恵さんという素晴らしい伴侶を得たことに心から感謝

します。卓也の最後の手紙に、「母さん、芳恵さんのこと呉々も

よろしく頼みます。」と、そして、「母さん、いつものように、行って

来ます。」って、 (中略)

 近いうちに、秀夫君を東京の親戚に預ける為に上京します。

その時に芳恵さんにお会いしたいわ。  (後略)」


 それから間もなく、秀夫君からも手紙が届いた。

「神埼芳恵様
(前略)
 卓兄ちゃんから、最後の手紙が届きました。その中に、僕が卓

兄ちゃんから預ったレコ−ドのうち、ルイア−ムストロングの

リンゴの木の下でが収録されているレコ−ドを芳恵さんに渡す

ように書かれています。近いうちに卓兄ちゃんのお母さんと P 27

上京します。その時渡しますね。 (後略)」

 10歳にしては、達筆でどこか卓也の筆跡に似ていて、芳恵は、

卓也が生きていて、この手紙を書き綴っているのかと、不思議な

感覚を覚えた。


芳恵は、行方不明になったままのトランペットが、そのまま誰にも

吹かれずにケ−スに入ったままで、そして、見つかりますように

祈る日々であった。父勝也もいろいろな方面に掛け合ってくれて

いて、特に、部下だった坂本が、献身的に探し続けていた。


 終戦後2ヶ月が経ち、秋らしい晴れた日に、秀夫君から電報

が届いた。「来週の日曜日、お昼に東京駅に初野叔母さんと

僕、秀夫が着きます。」


 芳恵は、もうすぐ卓也さんの遺した リンゴの木の下で の

レコ−ドに対面できると思うと、来週の日曜日のお昼が待ちどう

しくて仕方がなかった。


 当日、坂本がジ−プで芳恵を迎えに来てくれた。東京駅に向かう

車のなかで、坂本から、行方不明のトランペットの情報があることを

知らされる。 その情報をもとに今夜、当たってみる、と。

嬉しいことは重なるものね。と芳恵。

 ジープは、定刻に東京駅に着く。坂本と芳恵、大阪発東京行きの

列車到着改札に向かう。 間もなくして、秀夫君の大きな声が響く。 P 28

「芳恵さ-ん!!」 紛れもない、卓也の声そっくりで、芳恵ビックリ

する。その声の方を向くと、そこには、卓也さんでなく、なつかしい

秀夫君と卓也の母初野がニコニコして立っていた。

 しかし、お互いに名を呼び合うや三人泣きだしてお互いの無事

を喜びつつ、卓也の死を悲しむのであった。

 全員、坂本の運転するジ−プに乗って、一路、芳恵たちの家に

向かった。芳恵の家は、空襲で焼き出されたが、辛うじて原型を

留め、勝也が修復しながらの仮住まいのような粗末な家であった。

 芳恵、「こちら、坂本さんです。父の元部下で、わたしのトラン

ペット探しをしてくださっていますの。」

 初野と秀夫、坂本に会釈してそれぞれ簡単に自己紹介済ませ、

秀夫くん、「ところで、トランペット探しの坂本さん!!」 坂本、

ひっくり返りそうに。10歳足らずの少年に、そんな風に言われる

のもこしゃくであったが、「は、はい。何なりと聞いてください。」

バックミラ−ごしに坂本、少年を睨みつける。 初野、「まあまあ

坂本さん、許してやってください。この子、これでいて気の優しい

子ですから。」 坂本、「なかなか、頼もしいですね。これからの

日本は、秀夫君たちに掛っているのだから。」

 芳恵、おどけて「トランペット探しの坂本さん!!」

 まいったなあ、と坂本。全員、笑う。

 ジープは、東京の焼け野原を疾走した。坂本は、慣れた感じで

ジ−プを操り芳恵のトランペットをどのように探していて、幾つかの

情報を掴んでいることを話した。

 一つは、占領軍が戦利品として接収している可能性。

 一つは、闇市に流れて取引されている可能性。

もう一つは、影も形もなくなって鉄屑同然となっている可能性。

突然、芳恵が泣きだしてしまう。初野が、芳恵を抱き寄せて

やさしく言葉をかける。坂本、慌てて鉄屑説を取り消すが、

後の祭りである。 秀夫、「トランペット探しのおじさん!!

よろしく頼むよ!!」 坂本、「おいおい、おじさんは勘弁してよ」

声が裏返ってしまい、みんな大笑い。


 ジープが、神崎家につくと、ジ−プのエンジン音を聞いて

神埼家の面々が家の前に並んで出迎える。初めまして、ご無事で

何より、こんにちは、遠いところ、さあさあ、中へ中へ、言葉が、

嵐のように飛び交う。 客間に全員が勢揃い。芳恵が、父勝也に

東京駅八重洲口から我が家までのジ−プでの会話を一通り話し

終えると、勝也、「それはそれは、遠いところお疲れ様でした。私ども

と卓也君は、家族のように親しく気兼ねなくお付き合いしていました。

戦争がなければ、楽しい日々が続いていた筈です。」

勝也は、秀夫君を見ながら、「それにしても、秀夫君は、卓也君の

生き写しですなあ」と言って、目を細める。神埼家の母も妹泰恵も

大きく頷き溜息をつくものだから、秀夫くん、恥ずかしくて、恥ずかし

くて、穴があったら入りたいところ、体制を整えて、大きな声で、

「僕は、安達秀夫です。卓兄ちゃんでは、ありません。」と言って、

にこっと笑った。 みんな大笑い。場が一気に和むのでありました。

そして、一通り自己紹介が終えると、秀夫くんは、おもむろに、

風呂敷包みをちゃぶ台の上に置き、正座して、芳恵の方に向き直

って、お辞儀をしてから、「芳恵お姉さま、この風呂敷包みは、あの

時のままです。芳恵は、今年のお正月、卓也に連れられて、安達家

を訪ねた時のことを思い出していた。その風呂敷包みを芳恵は、

膝の上に乗せて、抱きしめた。一同、もらい泣き。芳恵の目から

大粒の涙が、風呂敷包みにポタポタと落ちる。

と、そのとき、ひときは大きな泣き声で、オイオイ坂本が泣くので、

一同、泣きやむ。坂本もきっと卓也の戦死を悲しんでいるのだと

思った。勝也が坂本に、「君と卓也君とは・・・」 坂本、「いいえ、

卓也さんとはお会いしたことはありません。しかし、今日、ジ−プ

の中で運転しながら、皆さんの卓也さんの思い出話をいっぱい、

聞かせていただきました。それで・・・・」 坂本、済まなそうに、

「僕には、一緒に泣いてくれる身内がいなくて、皆さんが一緒に

泣いておられるのを見ててなんか、こう、・・・すみません!!」

一同、泣き笑いになって、秀夫くん、「トランペット探しの、おじさん

!!ぼくの膝でお泣きなさい。」と秀夫、両手を坂本の方へ広げ

・・・みんな大笑い。

初野が、そっと、芳恵に声をかける。「芳恵さん、お部屋に行って

・・・さあ・・・」 一同涙目で、そうしなさい、と促す。芳恵、風呂敷

包みをまるで赤子を抱くように、みんなに涙目で目礼して、客間

を後にする。

芳恵は、自分の部屋に一人になって、風呂敷包みを膝に乗せた

ままそっと結び目に唇をよせ、卓也さん、お帰りなさい。とささやく。

涙が止まらない。そっと、結び目を解く。風呂敷がはらりと解ける。

レコ−ドが崩れそうになる。芳恵、そっとレコ−ドが崩れないように

やさしくかばい、卓也を抱きかかえるかのように。一番上に、ルイ

ア−ムストロングの リンゴの木の下で 卓也さんの歌声がした

ように思えて、芳恵、遅れないように一緒のフレ−ズを歌う。

何枚目かのレコ−ドの間に、手紙と写真が添えられている。

二枚の写真が、一枚は、海軍制服に凛々しい少し笑みを浮かべて

海軍帽子を被った写真。裏面に卓也の筆跡で 神風海軍特別

攻撃隊第一正気隊海軍少尉安達卓也 と記されている。

もう一枚は、飛行訓練の合間に撮ったらしい、特攻服に身を包み

卓也の笑顔に白い歯がこぼれている。懐かしい卓也の笑顔。

裏面に「憧れの零式21型戦闘機に乗って大空を駆け巡っていま

す。」と記されている。

卓也から芳恵への手紙

「神崎芳恵 様

お元気ですか。この手紙が君のもとに着くころは、この憎むべき

戦争が終わり、平和になっていることを祈りつつ、この手紙を

通して君に再会できることを願いつつ書いています。

リンゴの木の下で を芳恵さんのトランペットでいま、歌いたいです。

僕の耳と心に焼きついた、芳恵さんのトランペットと芳恵さんの

歌声が僕のいとしい宝物であることは、誰も僕から奪うことは、

できない。たとえ、僕の魂が永遠の眠りについても、この世で、

君が、リンゴの木の下で を吹く時は、必ず、僕の魂は、君の

吹くトランペットの音色のなかに存在し、君とともに一体となって

リンゴの木の下で を歌うだろう。

君と過ごした夢のような日々をいとおしく、この胸に抱きしめて、

君と一緒に歌うだろう。」


卓也さんの歌声が、二枚の写真から聴こえる。

芳恵、二枚の写真を手のひらにのせて、「卓也さん、今日から、

私達、ずーっと、ず-っと、一緒よ。 約束よ。」

涙で、卓也の筆跡が滲まないように、細心の注意をはらって、

芳恵は、そっと、写真の卓也に唇をあてて、大事に、大事に

写真と手紙を封筒に戻して、ハンカチで涙を拭いて、封書の

卓也の筆跡が涙で滲まないように、細心の注意を払って、

両手で、封書をそっと抱くように、頬ずりして、胸に抱きしめるので

あった。


客間では、安達家と神埼家と坂本が、すっかり、打ち解けている。

話は、殆ど卓也との思い出話しである。 勝也と坂本が、海行かば

を歌い出す。すると、秀夫少年も加わり、三人肩を組み上機嫌、

芳恵、すっかり涙を拭いて、笑顔で現れる。

芳恵、秀夫君が、卓也に見えて仕様がない。「よお-し、秀夫君!!

わたしも入るわよお-!!」 芳恵、加わり、最初から、四人大合唱

となる。 今宵は、笑い声が絶えない、神崎家であった。

翌日、早くも、別れの時がきた。 みんな、名残惜しく、再会を

誓い合い、坂本の運転するジ−プで、一路、秀夫君の親戚が

待つ麻布に向かった。 芳恵と秀夫君、そして、初野の三人

は、卓也の思い出の交換会のようになって、坂本も楽しげに

耳を傾けて、心地よいスピ−ドを保ちながら快適な運転を

心がけている。 時の経つのも忘れ、気がつくと、ジ−プは、

麻布に着いていた。


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